前方後円墳、前から見るか?後ろから見るか?

ぺけの頭の中

こんにちは、四方八方どこから見てもイケメンのぺけです。

 

まずは

百舌鳥古市古墳群世界遺産登録おめでとう!

 

バッチバチの地元なので、記事を書きたかったんですが、エピソードとか話すと出身中学やら色々バレてしまいそうなのでチキって書いてませんでした。

 

しかし、彼女ちゃんがこちらの写真を見せてきて

 

ニュースとかでも古墳逆にするの腹立つねんけど!」と

私は聞いたとき、「???」って感じでしたが、さらに話を聞くと

「上側が前じゃない?」となるほど。

確かに、画像だと上側が前のイメージがある

その考えが、世間と共通なのか知るためにTwitterで取ったアンケートがこちら

 

 

意外と、下が前と答えてくださった人もいましたが、ほとんどの人がやはり上が前だという認識のようです。

 

確かに、この結果だったら彼女ちゃんが正解な気がします。

しかし、私的には、手前と奥(後ろ)という認識だったので「何いってんだコイツ」となったのです。

円の部分に天皇様は埋葬されているので手前は四角(方)というイメージでした。

で、色々と「あーだ。こーだ」としゃべっていたのですが、その時話は結局まとまらずでした。

 

なので、今回はこの疑問について色々と考えていきたいと思います。

 

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彼女ちゃんと私の考え

地図から考えてみる

1つはじめに浮かんだのは、地図で北って上ですよね?

なので、前方後円墳は全て北が円になっていて、前方後円墳と名付けた人の時代は、南を前という認識があったという考えです。

 

はい、知ってました。違います。

 

そして次に浮かんだのが、お寺とかって当時の都を向いて建てられていた気がする。ということで、都側を手前として、四角い方が前となった。という考え方

ちょうど2つ仁徳天皇陵と履中天皇陵が同じ向きを向いているのでそれで確認してみましょう。

 

調べてみると、仁徳天皇時代は、難波が都だったようです。

また、履中天皇時代は、奈良県橿原市にある、磐余稚桜宮が都だったとのことです。

その2都市方角が違うのですが、一応画像でも確認しときましょう。

 

はい、都側が前という説も違いますね。

埋葬されている天皇の身体の向き説

埋葬されているっていうことは、おそらく仰向けで埋葬されているでしょう。

その時に、向かい合う形にしようと思えば、足元からになりますよね

なので、仰向け側に寝ている人からすれば、足元側が前ということになるはず。

 

つまり、絵にすると

作:彼女ちゃん

 

棒人間がいてややこしいですが、天皇様を中心に考えて前は四角という考えです。

Google先生に聞いてみる(答え)

はい、2人で考えていても答えはわからないので知識の神であるGoogle先生に聞いてみましょう。

 

教えてGoogle、前方後円墳はどっちが前?

 

どうやら、前方後円墳と命名した人は江戸時代の蒲生君平という人のようです。

「被葬者が埋葬されている後円部は、横から見ると前方部より盛り上がって見えます。後円部を牛車の人が乗る部分に見立て、低い前方部を牛が牽く部分に見立てました」
   という。蒲生は自ら記した古墳の研究書「山陵志」の中で初めて前方後円墳という言葉を用いた。空撮写真が簡単に撮れる現代と違い、江戸時代には地上から古墳を見上げるしかなく、被葬者が埋葬される後円部をいわば本体とし、古墳全体を車に見立てたのが蒲生の考えだった。そこで方形部が車の前、円形部が後部となって、前方後円墳と呼んだ。

前方後円墳はなぜ「円」が「後ろ」? 意外なあるモノの形が影響していた!

 

まさかの、前からでも後ろからでもなく横から見るスタイル

確かに、牛車のように見えなくもないです。

 

ちょっと待ってください。

それじゃあ、やっぱり教科書やニュースで使われている写真は逆にするべきなのでは?とも思いましたが疲れました。

色々調べて「君子南面す」という言葉から南が前だという物もありましたが、先程言ったように古墳自体がバラバラの向きですし違いそうです。

 

あと、前方後円墳とか言うけど、ぶっちゃけ、鍵穴やん?

教科書にも前方後円墳(鍵穴式)古墳とか書いてるし良いやん?

結局のところ見栄えの良さですよ。それで、私はいいです。

正義感の強い人は、教科書作成者や各メディアにでも抗議してみてください。

ちなみに、英語でも「 Keyhole-shaped tomb 」とされていて鍵穴古墳だそうです。

 

こぼれ話

彼女ちゃんあほかわいい

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